■書名:壁

■著者:安部公房

■出版:新潮社

■定価:550円+税

「壁に突き当たる」「壁を乗り越える」など、壁にまつわる慣用句は多い。

 

その壁とはなんなのだろうか。

安部公房『』は、「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭(「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」「事業」)」の3部6編からなる。どの話も壁に焦点が当てられている。

S・カルマ氏の犯罪」は、ある日目が覚めると自分の名前を失ってしまった男が主人公だ。名前がない男はこれまでの習慣や生活に戻れなくなった。男は、この世界から逃避するために「世界の果て」を目指す。出会った「せむしの男」は言う、

自身の部屋が世界の果てで、壁はそれを限定する地平線にほかならぬ。<略>壁を凝視しながら、己の部屋に出発するべきなのであります」。

部屋に戻った男は壁を凝視する。

すると、「壁を見つづけると…<略>膝を抱えて砂丘に坐っているのでした」。

壁の向こう側には、砂の荒野が広がっていた――。

魔法のチョーク」では、生活にあえぐ画家アルゴンが主人公だ。ある時、チョークで部屋の壁に食べ物を描くと、それが本物になった。日光に当たるとたちまち絵に戻ってしまう。そこで部屋の窓を布で覆い、ドアに釘を打って部屋を密閉して生活を始める。

息苦しさを感じたアルゴンは、壁に窓の絵を描こうとする。

例えば元どおりのアパートの光景があっととしても、<略>なんでも構わぬ。逃げだせばいいんだ」。

アルゴンも、世界から逃避することを選んだ。

ドアの絵を描き、開けると「恐ろしいような曠野(こうや)がぎらぎら正午の太陽に輝いていた。見渡す限りの地平線以外、影一つない」。

アルゴンの場合も壁の外は、荒野だった。

上記の二人は、目の前の壁から「逃げ出す」という選択をした。

 

我々も日々なにかの壁に突き当たっている。

壁の向こうには、さらに高い壁があり、その先にはその壁より高い壁が…。そういった壁があり乗り越える限り、我々は生きることに意味を見出せている。もしその壁から逃げてしまったら、残るのは荒涼とした虚無だけだ。本書では、壁から逃げた人の哀れを描いている。

安部公房が、『壁』で芥川賞を受賞したのは1951年、終戦から6年後のことだ。

当時の日本には、敗戦から復興や、新たな経済市場での戦争など、壁が山積みだった。そういった壁を乗り越えたからこそ、今日の日本がある。

目の前に立つ壁には、正面突破をしなければならないのだ。

 
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