7月10日は情報誌「『ぴあ』が創刊した」日である。

ボロアパートで始めた手作り雑誌

映画やイベント、コンサートなどのエンタテインメント情報をまとめた雑誌『ぴあ』が生まれたのは、1972年のことだ。

社長の矢内廣が中央大学4年生の頃、TBS報道局でアルバイトしていた仲間7人と共に『ぴあ』を創刊し、ぴあ株式会社を設立した。

当時、全国のイベントやコンサート情報を手に入れる手段が少ないなかで、豊富な情報量がある『ぴあ』は、若者文化の草分け的存在として、絶大な支持を集めた。


80年代の若者 (画像=photolibrary)

今で言う学生ベンチャーとして始めたので、資金繰りで苦労した。

創刊当時はオフィスを借りる余裕も無く、中野坂上にある小さなアパートに編集部を作った。雑誌ができあがると、雑誌を袋につめ本屋を一軒一軒回り、置いてくれる店舗を増やしていった。しかし、当初は全く取り合ってもらえなかったという。まさに手作りで雑誌の制作を行っていたアパートの写真は同社のホームページにも掲載されている。

拡大する領域

雑誌名の『ぴあ』の由来は、既存の言葉のイメージを付けたくなかったので、意味のない言葉を使用したという。

1984年には、『ぴあ』と連動した形で、各種イベントの入場券も販売するプレイガイド事業『チケットぴあ』を開始した。雑誌を見ながら、電話一本でチケットを購入できることは、当時としては珍しかった。

これまで、首都圏情報のみだった『ぴあ』だが、関西版、中部版とエリアを大きくしていき、全国的に知名度が広がっていく。

インターネットが始まった頃からは、従来のイベント情報を網羅的に提供する方針を改め、編集部のレコメンド情報や著名アーティストのインタビュー掲載といった内容に大幅改変し、紙媒体を提供し続けた。

しかし、ネットが普及し、簡単に情報を入手することが出来るようになると、雑誌を手に取る人が少なくなり、『ぴあ』は、2011年7月21日に、惜しまれつつ39年間の歴史に幕を閉じた。

同社は「情報誌としての『ぴあ』は時代の役割を十分に全うした」とコメントを残している。

小さなアパートから始まった「ぴあ」が、若者文化を担ったのだ。そのことに対する満足が感じられる、どこかさわやかな去り際だった。

敬称略

 
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