7月14日は、画家「クリムトの生まれた日」だ。

グスタフ・クリムトは1862年の今日、芸術の都ウィーンで生を受けた。

20世紀の近代美術の先駆者として知られ、その作品は『接吻』『バージン』『ダナエ』に代表されるように女性を描くことが多い。

女性の裸体や妊婦、時にはセックスなど甘美で官能的なテーマを扱い、「愛の画家」と呼ばれていた。

裸体以外にも、金を多用した作品でも知られている。

代表作である『接吻』も金箔をふんだんに使用した作品であった。


「接吻」 (画像=GATAG)

オーストリア政府が、2012年に、クリムトの生誕150周年を記念して、晩年使用していたウィーンのアトリエを忠実に再現した記念館を公開した。

石造りで2階建ての一軒家で、逝去するまでの6年間をここで過ごしていたという。

室内も再現されており、バックハウゼンの絨毯など同じものが再現されている。クリムトは日本文化に影響されており、武士の甲冑や浮世絵なども飾られているという。

この修復に200万ユーロ、日本円で3億3,300万円が投資されたというから驚きだ。

クリムトの生家や自宅は残っておらず、この記念館以外にクリムトに関連する施設はない。

生来、クリムトは、女性好きとして有名だった。生涯独身を貫いたが、裸体を描くことが多かったため、アトリエには数十人の女性が裸で闊歩していたという。

そのモデルを務めた女性と何人も愛人関係にあったという。

そんな女好きのクリムトだが、唯一愛した女性がいたのだ。

エミーリエという女性で、クリムトの弟の婚約者のお姉さんだった。

エミーリエは、クリムトの女好きを理解した上で付き合っていたのだ。

公開されているアトリエで亡くなった時もエミーリエが付き添い、看取ったという。

クリムトの死に際の言葉が、「エミーリエを呼んでくれ」だったという。「愛の画家」と呼ばれるにふさわしい最期の言葉であった。

 
  • line
  • facebook
  • twitter
  • line
  • facebook
  • twitter

本サイトに掲載されているコンテンツ (記事・広告・デザイン等)に関する著作権は当社に帰属しており、他のホームページ・ブログ等に無断で転載・転用することを禁止します。引用する場合は、リンクを貼る等して当サイトからの引用であることを明らかにしてください。なお、当サイトへのリンクを貼ることは自由です。ご連絡の必要もありません。

このコラムニストのコラム

このコラムニストのコラム一覧へ