8月2日は作曲家「服部正の命日」である。
クラシック音楽の大衆化に努めた服部正は2008年の本日、老衰のため自宅で亡くなった。100歳であった。
1908年に東京・神田に生を受けた服部は慶應義塾大学卒業後、音楽家の菅原明朗に師事し、作曲を学んでいく。主にクラシック、オペラやバレエの作曲を行う。
その後、大衆に根ざした音楽も手がけていく。
一番の功績はラジオ体操第一の作曲だろう。
ラジオ体操風景 (画像=GATAG)
さらに、戦中、戦後にかけて幅広く映画音楽を作っていく。
服部が付けた映画音楽といえば、黒澤明が思い浮かぶ。
「虎の尾を踏む男たち」(1945年)や「わが青春に悔いなし」(1946年)など初期の黒澤作品を多く担当した。
服部が黒澤映画の音楽を担当する最後の作品となったのは「素晴らしき日曜日」(1947年)である。
戦争の傷跡が残る東京が舞台だ。
若いカップルの雄造と昌子は、日曜日にデートするが、2人ともお金がない。
遊びに行くこともできず無料の住宅展示場に行き、そこで一緒に暮らす夢を語り合う。しかし、若い二人が家を持つなどは夢のまた夢で、逆に悲しみが募ってしまう。
その後、アパートを見に行くが、ボロアパートでも家賃が高く、愛し合う二人は一緒に暮らすことすらかなわない。当時の東京は深刻な住宅不足だったことがわかる。
その後、気を取り直した二人は日比谷公会堂にクラッシックを聴きに行くが、チケットは買い占められており、雄造はダフ屋に殴られる。
「素晴らしい日曜日」とは真反対の終始悲しいエピソードが続く。
それでも愛し合う二人は夢を語り合い、心から希望が消えることはない。
深夜、誰もいなくなった日比谷音楽堂に忍び込み雄造はタクトを振るう真似をする。
昌子がステージから観客に雄造への応援を呼びかける。
しかし音楽堂には誰もいないはず…
そう、この時、昌子が呼びかけたのはスクリーンの向こうにいる映画の観客に向けてだった。
その瞬間、音楽が流れ出す。
欧米の観客や批評家に絶賛されたこの演出は、若い二人に敗戦から立ち上がろうとする日本を重ねたものだといわれる。
服部正の音楽も映画に華を添えるように、戦後に奮い立つ若者の姿を際立たせた。
ラジオ体操から映画音楽まで手がけ、昭和から平成を生きた服部の音楽はどれだけ多くの人を勇気づけたのだろうか。
多くの功績を残した服部は東京・多磨霊園に眠っている。
敬称略